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アメリカ編

カーネル・サンダースおじさん

カーネル・サンダースおじさん

<その6>


2020.12.03

萩原行政書士事務所

 

 

カーネルの人生を振り返って見ると、

前半は必ずしも幸せであったとは言えず、

後半は事業家として数々の苦渋を味わいつつもKFCを立ち上げ成功した。

といえましょう。

 

◎人生の前半は幸せとは言えなかった日々

――少年時代に父親を失った。

――家庭的に満たされてはいなかった。

――40歳の時に最愛の一人息子を失っている。

――30年以上にわたり愛情に満たされているとは言えない結婚生活を送っている。

――事業家としても数々の苦渋を味わっている。

 

KFC成功の秘訣

――食事の内容や料理のプロセス、サービスなどシステム化することにより清潔でサービスの行き届いたレストランで、おいしいものを安く、早く提供できるようにしたこと。

――アイデアさえあれば、ビジネスを広げていくのに多額の資金を必要としなかった。

――チェーン店では、たとえ資金力があったとしても、店舗を開くのに向いている場所を

探したり、ビジネスを始める用意や、その後の管理をするのには、時間と労働力が必要になってくるので、規模の拡大に限界がある。

――一人一人のフランチャイジーが、ビジネスを始める用意をして、店の経営の責任を持つフランチャイズだからこそ急速に店舗を増やすことができた。

――フランチャイジー側にもメリットがある。

一個人では経済的に不可能なテレビコマーシャルなどの宣伝ができたり、新しく店を始める場合でも、ビジネスのネームバリューや人々の親近感、安心感が最初からあり、成功する確率が高い。

――社会的な貢献

  労働力の提供のみならず、若者世代に実社会を学ぶ最初の機会を提供してくれている。

 

1930年代はファースト・フード形式レストランの創成期とすれば、

1950年代はフランチャイズビジネスの創成期といえる。

フランチャイズ業界のもう一つの巨人、マクドナルドも1950年代にイリノイ州に誕生している。

 

 

 

 

今回のカーネル・サンダースおじさんについてのお話は、以下の本を参考資料にしています。

著者に感謝しつつ

 

「カーネル・サンダース」

著者: 藤本 隆一

発行所:株式会社 文芸社

初版:20161215日発行

 

****************************

 

 

このお話はこれにて完結です。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

次に新しい興味のあるお話を見つけましたら、

アップしますので、お楽しみに!

 

いま日本の神話や古事記・日本書紀、更には邪馬台国と女王卑弥呼周辺の物語に興味を

惹かれ始めました。

その理由というのは、日本の神話がおとぎ話とか伝説ではなく、古代日本の源流を伝えてい

るのではないかという素朴な疑問から色々と考えているからです。

 

既に事務所HPやブログ記事にはアップし始めましたので、見つけてみて下さい。

ではまたお会いしましょう。

 

 

 

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東京都世田谷区等々力在住

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カーネル・サンダースおじさん

<その5>

2020.11.29

萩原行政書士事務所

 

 

 

1949年、59歳の時、再婚。二番目の妻はクラウディア。

 

1950年代初頭、アイゼンハワー米大統領の全米ハイウエイ近代化計画により国道75号線

が建設される。

(サンダースのお店はコービンの町中にあり、旧国道25号線に面した場所であった。

旧国道はコービンの町中を横断しているが、新国道の75号線は町から西に11Km離れている。)

 

近くにできたハイウエイのために客が激減。

旧道沿いで25年間商売を続けてきた「サンダース・カフェ」を75千ドルで売却。時に65歳。年金(ソーシアル・セキュリティ・チェック)は月額105ドルで生活は苦しかった。

 

カフェで人気のあったもの、それは彼独自のアイデアで「7つの島からとれた11種類のハーブとスパイス」を使い、圧力釜で作るフライドチキンの作り方であった。

 

彼は料理方法の伝授によりロイヤリティをもらう契約方式で、フランチャイズ形式の商売を始める。

 

1956年、66歳の時、

フライドチキンの調理法のノウハウをフランチャイズ化するために全米をまわる。

1000件を超えるレストランを訪問、KFCの販売促進を強力に促進してきた。

 

「私に【引退】と言う言葉はいらない。 たとえどんな困難が待っていようとも、私はあきらめない。今までがそうであったように、これからも何回でも立ち上がる。命ある限り私は働き続ける。」

 

1960年、70歳の時、フランチャイズがアメリカで200店、カナダで6店になる。

 

1964年、74歳の時、KFC200万ドルで売却。

会社の経営から退いた後もKFCの顔として世界中をまわる(日本にも三度来訪)。

 

 

19801216日死去。90歳まで長生きしました。

この年KFC48か国、6000店に広がっている。

 

1996年。KFCは世界80か国、1万店となる。

年間のチキン消費量を並べると28万4000マイルで地球11周分になる。

 

 

今日はここまでです。

次回、<その6>をアップしますので、お楽しみに!

 

 

 

 

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カーネル・サンダースおじさん

<その4>

2020.11.16

萩原行政書士事務所

  

カーネルがガソリンスタンドを始めた頃、アメリカでは乗用車が急激に普及しています。

 

1908年にヘンリー・フォードが大衆向け乗用車の製造を開始し、1913年に独自システムでの大量生産に成功、それまで世界でも数千台しかなかった車が、1929年にはアメリカだけでも2312万台になっている。10年前と比べても4倍近く増加している。

 

カーネルは時代の流れをつかんだように見える。

彼は晩年のインタビューで「自分は、ケンタッキーで自動車の窓をサービスとして洗った最初の人間だ」と自慢していますが、それくらい熱心に仕事に励んでいるのでした。

 

事業家として成功しつつあるカーネルだが、この繁栄も突然崩れ去ってしまいます。

彼の性格が災いしたわけではなく、数年後人生最大の苦境に遭遇することになったのです。

 

それは19291024日木曜日に、突然人々に襲い掛かってきました。

ニューヨークのウォール・ストリート証券街から始まった大恐慌です。

カーネル39歳の時です。

 

彼はガソリンスタンドを売り払い、再び財産を失います。

(大恐慌からの経済の回復は、F.D.ルーズベルト大統領のニューディール政策が効果をあらわすまで10年以上も不況が続きました。)

 

でもカーネルはめげていません。すぐに立ち上がります。

 

1930年、カーネル40歳の時です。

ケンタッキー州コービンで新たにガソリンスタンドの経営を始め、

まもなく食堂とモーテルを併設する。

ガソリンスタンドに立ち寄った車の運転手たちのために、簡単な食事がとれる食堂を作り、旅行者にはゆっくりできるような清潔で癒される空間としてモーテルを併設した。

これらのアイデアは、お金もうけ第一という発想から出てきたものではない。

お客様に快適な時間と空間を提供したいという徹底したサービス精神から自然に生まれてきたものです。

 

同年、愛する一人息子ハートランド死去。

 

1935年、45歳の時、州知事から【カーネル】の名誉称号を授かる。

 

1939年、カーネル49歳の時、圧力釜との出会い。

来店したお客様に揚げたてのフライドチキンを提供するため、これまで30分かかっていた料理法ではなく、数分でできる圧力釜の利用は、大きな飛躍のために欠かせない必須の料理器具となった。

  これにより、オリジナル・フライドチキンの調理法を完成させる。

 

しかしながら、火事によって自分のレストランとモーテルを焼失してしまう、という不運な目に遭う。

 

1941年、カーネル51歳の時、142人収容の大レストランを再建。

 

1947年、カーネル57歳の時、離婚。

 

 

今日はここまでです。

次回、<その5>のアップをお楽しみに!

 

 

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カーネル・サンダースおじさん

<その3>

2020.11.03

萩原行政書士事務所

 

 

 

1906年、セオドア・ルーズベルト大統領の時代にキューバでは政情不安となる。

母親の妹の夫、カーネルの叔父は、アラバマ州シーフィールドでサザン鉄道に勤務をして

いたことからその仕事を始める。機関車の釜焚きの青春時代であった。

20歳直前、会社を首になる。労組役員となっていたことが原因か?

 

1908年、カーネル18歳で、最初の妻ジョセフィンと結婚。

二人目の子で一人息子のハーランド誕生。

夫婦仲はうまくいかず、「会社を首になるような男と結婚したのは間違いだった」と言って

妻が家出。

39年後に離婚。

 

アーカンソー州リトルロックへ転居。

弁護士の仕事につく。資格は必要なかった時代であった。

 

カーネルの性格は、すぐカッとなり、物事に妥協できずに人と対立してしまう。

その結果なのか頻繁に転職している。

<これはアイルランド系移民によく見られる特徴だと言われる。>

 

1912年、22歳になったカーネルは、保険の外交員を辞めた後、インディアナ州のジェファソンビルに移っている。

彼はこの頃になってようやく「自分の性格は誰かの下で働くことに向かない」と言うことに気づき始める。心のどこかにある「自分のビジネスを持ちたい」という気持ちが、事業家としての道を徐々にたどり始めているのでした。

ジェファソンビルでは初めてロータリークラブに参加し、クラブの活動については生涯辞めることはなかった。

 

事業家としての彼は、フェリーボートの経営に参加することから始まっている。ボートの名前は、オールド・アスマ号と云い、人を100人くらいと車15台ほどを載せる船で、ジェファソンビルからオハイオ川を越えてケンタッキー州のルイビルまで往復していた。ただこの船、冬季は川に氷が浮かぶので運航できず、ほとんど儲けにならなかった。

 

この経営はどうにか続けていたが、インディアナ州コロンブスの商工会議所より秘書の仕事の依頼を受け、「多くの商売人と知り合えるチャンスだ」と考え、迷わずボート経営から手を引きコロンブスへ向かった。

 

しかし、実際に秘書の仕事をしてみて、「自分の性分に合わない」とわかり、約1年で辞めている。

 

ガスランプの製造販売では、事業を始めて間もなくして性能がはるかに優れている電気ランプが売り出され、カーネルは持っていたお金をすべて失ってしまった。

 

ケンタッキー州に移り、ミシュランタイヤのセールスマンを始めているが、工場の閉鎖に伴い、約1年半働いた後に解雇されている。

 

 

今日はここまでです。

次回、<その4>をアップしますので、お楽しみに!

 

このお話は、何十年も前の私のアメリカ滞在中に端を発した興味をもとに今になって

当時を懐かしみつつ関連本に目を通し書き始めました。

ある夏の休暇中に旅行でリンカーンの故郷であるケンタッキー州を訪れた際に、KFC

触れたことがそもそもの始まりでした。

このお話はもう少し続きますので、お時間の許す限りお付き合いください。

 

ではまた

 

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カーネル・サンダースおじさん

<その2>

2020・10.17

萩原行政書士事務所

 

1900年、カーネル10歳の時に、家計を助けるために農場で働き始める。

人生最初の仕事だった。

 

母はカーネル12歳の時に再婚をしてインディアナ州グリーンウッドに引っ越し。

 

1904年、カーネル14歳の時、母親の再婚相手である義父と不仲で結局家を出ることに。

中学を中退したため、最終学歴は小学校卒となっている。

しかし晩年は、リンカーン・メモリアル大学はじめ5つの大学より名誉学位を授与されて

おり、地元の名士となっています。

 

転職を繰り返す。

カーネルは驚くほど多くの転職を繰り返していますが、その転職履歴を一表にしてみますとこんな感じです。

 

◎驚くほど多い転職の履歴

――10歳で農場の手伝い

――その後二回農場を移り変わる

――軍隊・キューバへの従軍

――サザン鉄道

――ノーフォーク アンド ウエスタン鉄道

――イリノイセントラル鉄道

――弁護士

――ペンシルバニア鉄道

――保険外交員

――フェリーボートの経営

――商工会議所の秘書

――アセリンガスのランプの製造販売

――ミシュランタイヤのセールスマン

30歳なるまでにこれだけ仕事を転々としています。>

 

今回のカーネル・サンダースおじさんについてのお話は、以下の本を参考資料にしています。

著者に感謝しつつ

 

「カーネル・サンダース」

著者: 藤本 隆一

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初版:20161215日発行

 

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今日はここまでです。

次回、<その3>をアップしますので、お楽しみに!

 

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カーネル・サンダースおじさん

<その1>

2020.10.12

萩原行政書士事務所

 

 

リンカーン大統領の次は、同じケンタッキー州に所縁があり、レストラン店を起業し大成功を収めた男の物語について、お話をしたいと思います。

 

その人は、ケンタッキー フライド チキン(KFC)という世界的事業を創設した人で65歳から企業を興した伝説の男。65歳から起業し成功したのですから驚きです。

 

多くの人に愛された「白い上下のスーツにステッキ姿。温和な笑顔でお店の前に立っている180㎝の白髪・白髭の等身大の人形」でもよく知られています。

 

KFCの生みの親、皆さんもよく知っているその人の名は、

カーネル・ハーランド・サンダースです。

 

カーネルという称号は後で与えられたものです。

 

お話の舞台は、ケンタッキー州南部コービンと言う小さな田舎町が中心となりますが、まずはインディアナ州に生まれた頃からの人生を見ていきます。

 

カーネル・ハーランド・サンダースは、189099日、インディアナ州ヘンリービルに生まれる。

3人兄弟の長男。

 

父親は、カーネルが生まれた頃に農場で働いていたが、間もなくして足にけがをし、肉屋を始めている。

父親はカーネル6歳の時に他界してしまった。そのとき弟クラレンスは2歳年下で4歳。

妹キャサリンが生まれる2か月前の事でした。

 

母親は、3人の子持ちで苦しい生活の中、初めの頃は洋服作り、次いで缶詰工場でトマトの

皮むきをして働く。

 

 

今日はここまでです。

次回、<その2>をアップしますので、お楽しみに!

 

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リンカーンの故郷

アメリカの第16代大統領アブラハム・リンカーンは、日本でも有名です。

 

今日は、今や何十年も前のお話で恐縮ですが、独身時代に住んでいたアメリカで夏の休暇を利用して中西部をドライブした頃を思い出すまま書いてみました。

 

東海岸からアパラチア山脈を越えて中西部に入ります。

 

インディアナポリスの500マイル・レースを見てシカゴの友達に会い、ミルウオーキーでビールを飲んで、クロップ・ランドと言われる小麦やコーン畑が数時間も続く65号線を一路南へ、ケンタッキー州とテネシー州へ向かいました。

 

ケンタッキー州は5月に行われるダービーでも知られていますが、この時はバーボンを飲むこととリンカーンの故郷を訪ねるために立ち寄る計画です。

 

リンカーンは、州都ルイビルから少々離れたホッジェンビルという小さな田舎町に生まれました。

その生誕地(Birthplace)は想像していたよりも実に素朴であまりにも小さな丸太小屋なのには少し驚きました。というのもNYからドライブしてきていましたので、マンハッタンの摩天楼と比べるとあまりにもその差が大きかったものですから。

 

でも、ケンタッキー周辺はのどかで牧歌的な雰囲気を醸し出していて、延々と続く平原になだらかな丘陵地帯と言った平和な風景が一帯に広がっているので、リンカーンの生まれた素朴な丸太小屋はすっかり周辺の大地に溶け込んでいるようでした。

 

付近にはリンカーンが2~7歳の少年時代に住んだと言われる家もありました。

更には、リンカーンの両親が結婚直後に住んでいた家もリンカーン・ホームステッド州立公園として残っています。

 

また、彼の奥さんメアリーが学生時代に過ごした家は、隣町のレキシントンにありました。

 

リンカーンの故郷巡りで強い印象に残っていたのは、アメリカ人の心のメロディーを謳い上げた作曲家フォースターです。

 

フォースターの曲は、今でも思い出します。

自然と口ずさむケンタッキーの州歌「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム」、ほかにも「草競馬」、「オールド・ブラック・ジョー」です。

 

数年前に住んでいたフロリダ州のマイアミ。

その州歌「スワニー川」もフォースターの作曲でした。

 

今日はここまでです。

ではまたお会いしましょう

 

 

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2020年09月21日

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リンカーン大統領
ケンタッキーダービー
KFC
ケンタッキーバーボン

明治維新と南北戦争つながり

明治維新とアメリカの南北戦争つながり!?

 

どんなつながりがあるのでしょうか?

すでにお分かりの方もおられると思います。

 

日本の明治維新のころにアメリカでは南北戦争がありました。

この時期に世界では欧米を中心にアジア進出が激しかったですよね。

 

歴史でこの時代を見ると

 

日本はこんな感じでした。

1853年 ペリーの黒船来航

英仏がクリミア戦争の最中で、この隙にとでもいいましょうか、

アメリカが日本にやってくるのでした。

1854年 日米和親条約締結

1858年 日米修好通商条約調印

1867年 大政奉還

1868年 戊辰戦争勃発

 

一方、アメリカでは1861年から65年にかけて南北戦争が起こっていました。

このためアメリカはこの内戦によって海外進出どころではなくなってしまったのです。

 

南北戦争は、アメリカにとって歴史上現在まで戦死者が最も多い戦争だったと言われています。何せ市民同士の闘いであったわけですから被害者数も甚大であったわけです。

 

また、この時期のアメリカ大統領は、あの有名なリンカーンでした。

彼は1861年から65年に暗殺されるまで、大統領に在任していました。

共和党出身で奴隷解放宣言をして、対外向けには戦争目的を明確化することによって、

英仏は北部のアメリカ合衆国に反対できない状況を作り出していたのでした。

 

理由は、奴隷制度を廃止している英仏にとって、同制度を容認している南部のアメリカ連合を表立って支援するのは難しく、北部を応援することで英仏国民の理解が得やすくなるからでしょう。

 

南北戦争開始当初は南軍が優勢だったようですが、

北部の工業力と西部開拓者の支援、更には英仏の同調も得て、

ゲティスバーグの戦いで北部の勝利が確定しました。

 

時代を見ると明治維新と南北戦争は同時期で、すべてつながってきます。

 

この時期に日本で産出された金が大量に海外に流失してしまっています。

このため日本の経済がおかしなことになってしまうのですけれども、その理由をご存知ですか?

 

このお話はいずれ書きたいと思います。

ではまた

キーウエストと「老人と海」

○キーウエストへ
マイアミに住み白砂海岸のビーチに感激していたころ、アメリカの東海岸を南北に走る国道一号線、今ではUSハイウエイ95号線でしょうか、それが気になって、というよりも東海岸を全踏破してみたいという気持ちが強くて、その始点となっているアメリカ最南端のキーウエストを訪れました。
マイアミから160マイルくらいでしょう。南へ南へとドライブしていると、海の中の島々を渡る橋が見えてきます。いわゆるセブンマイルブリッジ(約12キロ)といわれる橋で最も長く、四辺の海の真っただ中にいるようで、誰でも心を揺す振られるような感動を覚える絶景です。これをゆっくり堪能しながらといいたいところですが、この先のこともあり強い太陽の光でハンドルを持つ腕が日焼けするくらいになりながら、一本道をどんどん進みこの狭い道はどこかで事故ったら通れなくなるかもと幾分不安を覚えながら走っていると、最南端のキーウエストに到着します。
○「老人と海」
武器よさらば
誰がために鐘は鳴る
○ヘミングウエーは猫好き!
彼の家を訪れると確か足の指が6本もある猫がいるんですね。
ヘミングウエー邸にはたくさんの猫が飼われています。6本指の猫はヘミングウエー自身が生きているときに買っていた猫の子孫で、近親交配の進んだ結果このようになったそうです。
○キューバが目の前に見える!
アメリカ最南端のキーウエストからキューバまでは90マイルくらい。対岸のキューバが薄ぼんやりと肉眼で見えます。ケネディー大統領が旧ソ連の核ミサイルをキューバに配備するというキューバ危機問題で強硬な態度を見せたのもうなずけます。
○安倍総理もキューバ訪問
仲良くすることはいいことです。
○私もマイアミにいた頃にキューバ人の友人と知り合うことができました。
なんといってもマイアミは、南米との中継拠点。街の中はスペイン語ばかりで、アメリカであってアメリカでないような雰囲気を醸し出しています。
○魔の三角海域といわれるバミューダ・トライアングル
フロリダ半島から大西洋にあるプエルトリコ、バミューダ諸島を結んだ三角形の海域は魔の三角海域と昔から言われていてこの地域を航海する人々に恐れられています。というのも、この地域ではこれまでに数百の船や航空機が消えてしまったという事件が起きているからです。天候の良い日でも航空機が忽然と消えてしまい、残骸も見つからないという不思議な事件は様々な憶測を呼んでいて、話題にもなっている所です。

最近、アメリカの学者による研究結果が話題となっています。
「謎の真実は六角形の雲の穴が引き起こす空気爆弾である」というもので、猛烈な下降気流の上、風速は秒速75m、波の高さは13mと試算されているようです。
台風やハリケーン、サイクロンは上昇気流で、最強ランクの台風の秒速でも54m(木造家屋の全壊が始まる)とされています。
この空気爆弾の直撃を受けると、航空機は海に吸い込まれて墜落、殆どの船は高波にのまれて沈没。ということになってしまいます。
科学による解明が大自然の不思議に少しずつ迫っているのでしょうね。

ビーチのサンセット
海岸沿いの家
メリーゴーランド

ライト兄弟の飛行実験

最近、オハイオ州コロンバスに住む友人と近況のやり取りをしました。
友人の住むコロンバスはオハイオ州の州都ですが、その友人とのやり取りでふと思い出したのは、ライト兄弟のことでした。
というのも、ライト兄弟の弟オーヴィル・ライトはライト家の四男でオハイオ州デイトン出身でしたから。
オハイオ州といえば、プロゴルファーのジャック・ニクラスも同州出身ですね。
オハイオ州にはNYにいた頃、自家用車で小旅行をした際に立ち寄ったことがありました。
周辺は広大でなだらかな台地がどこまでも続いていて、のどかな雰囲気を感じさせるので、運転していてもだんだん眠くなってきたような記憶があります。でもそれは数十年前の話ですから、今ではすっかり変わってしまっているのでしょう。
さて、ライト兄弟は、ノースカロライナ州で最初の実験飛行に成功した後、主に出身地のデイトンで活動しています。動力は自転車を利用した人力のうえ、風に頼るようなグライダーをイメージして作られたような飛行機でしたが、少なくとも地上から飛び上がって空を移動できたことは間違いありません。
空を飛ぶという人類の夢に向かって悪戦苦闘し、とうとう人類にとっての飛行の第一歩ではあったでしょうが、それを実現した情熱とその兄弟の生き様には心動かされるものがあります。

ブルーインパルス
飛行機と滑走路
シュノンソー城近くの小屋
ニューカレッジの緑とベンチ

アメリカ大統領選挙:世界の歴史的な転換点となるか?

2016年11月8日、アメリカ大統領選挙は、America First を唱えるトランプ氏の勝利で決着した。
正直ちょっとビックリの結果でしたが、これからアメリカはどこに向かうのでしょう。
米大手メディアのNYタイムズやワシントンポストは軒並みクリントン氏優勢を報じてきており、トランプ氏の大逆転勝利ともいわれる結果について投票日直前まで予想していませんでした。
それは生活苦等の現状に不満を持つ多くの国民の存在が、トランプ支持を公言することが憚られる状況下であったため隠れトランプ現象を引き起こしたこと。ネット民の中では強い支持の意向を示していた人々で、公然とトランプ支持を表明しない多くの米国民の最終的な投票行動だったと云われています。
大手メディアは直接本人にコンタクトする手法を取った世論調査の結果をそのまま公表することによって、隠れトランプ派の投票行動につき的確な判断を見誤ったのではないかとも評されています。

世界各国はこの結果に対して、覇権を目指し現状変革を望むロシアや中国はチャンスとばかりに歓迎するでしょうが、日本やEUは戸惑っているのではないでしょうか。

12月のプーチン大統領訪日を控え、日本は北方領土問題で仮に二島だけであれ返還を勝ち取っても、その地に米軍が駐留する事態となることをロシア国民は良しとしないでしょう。
といって米軍の駐留を想定しないとした場合、日米安保条約の視点から見ると気懸かりな点がみられます。尖閣諸島は現状通りで緊急事態の発生時にアメリカの支援を期待しつつ、北方領土については例外とし米軍駐留を避けるというようなことになるのでしょうか。果たして日本に都合の良いように事は進むでしょうか。

トランプ氏を相手に日本外交の舵取りはこれまでにない厳しい道のりとなりそうです。
がんばれ日本の外交、世界の平和を目指して!

グランドキャニオン
モニュメントバレー
ヨセミテ公園

ニューヨーク(セオドア・ルーズベルト)

セオドア・ルーズベルトの邸宅はニューヨーク州ナッソー郡オイスターベイにあります。
マンハッタン島の東、大西洋側に向かって細長く伸びたロングアイランド島のオイスター湾に面したところです。
ご存知のように第26代のアメリカ大統領でテディーとも呼ばれ人気がありました。1858年にNY に生まれ、1901年に大統領になり、1919年に60歳で亡くなっています。
ユダヤ系オランダ人が起源の移民で、第32代大統領のフランクリン・D・ルーズベルトは12親等離れた親戚で、NY マンハッタン島の東側に沿って走る高速道路はFDRと呼ばれていますが、この大統領の名前からとっています。

1905年、日露戦争でアメリカは調停役となりポーツマス条約での和平交渉に尽力したのはT・ルーズベルト大統領でした。ハーバード大学の同窓生でもあった金子堅太郎の働きもあったようです。ルーズベルトは当初日本贔屓の親日派とみられていましたが、日露戦争における日本の軍事力に対して警戒感を持ち、次第に日本脅威論者になっていったようです。

自宅には狩猟が好きであった大統領らしく獲物となった大型動物の剥製や標本がたくさん展示されていて、まるで彼自身が猟銃をもって自慢げな様子ですぐそばに立っているような思いがしました。

ラシュモア山には四人の大統領の顔が彫られていますが、そのうちの一人でもあります。ワシントン、ジェファーソン、T・ルーズベルトそしてリンカーンです。 アメリカの歴代大統領の中でも特に人気があるといえましょう。
サガモアヒル
室内の展示

ニューヨーク(クリスマス・イブ)

ニューヨークの語学学校に通っていたある日、学校の先生の紹介でロングアイランドにあるアメリカ人ご夫妻の家にホームステーすることとなりました。そこはオイスター・ベイと呼ばれるところで、近くには第26代のアメリカ大統領となったセオドア・ルーズベルトの家もあります。

ホームステー先のアメリカ人ご夫妻は、アイルランド系のアメリカ人でご夫婦お二人だけの家庭でしたが、ご主人は少々小太り気味の風貌におおらかな人となりの方で、奥さんはとても明るく気さくな笑顔の絶えない方でした。
ご夫妻の家は、ゆったりとした広さの前庭にガレージもついていて、広々とした裏庭のある一般的なアメリカ人の典型とも思われるような造りの二階建ての家で、招待された時期はクリスマスの頃でもあったので、町の周辺一帯は少々雪に覆われていました。
時期が時期なので、それぞれの家では庭先にクリスマス・ツリーやサンタさん、トナカイさんを飾っていて、その装飾には独自の工夫を凝らしており、それを見ているだけでも楽しくなってきます。イルミネーションは各家庭が競って飾り付けていて、夜になると雪景色に映えた電飾はまるでおとぎの国に誘い込まれたような錯覚を覚えます。
そのころ撮った写真はもう手元になく、カメラも処分してしまっていますので、残念ながら今はもう心に残る思い出だけとなっています。

さて、イブの夕方になると、ご夫妻が招待した友人たちがやってきます。ご婦人方は手作りのクッキーやケーキ、一品料理を持って、また男性陣はウイスキー、ビール、シャンパンなど飲み物やクリスマスプレゼントを持って集まってきます。
玄関先で来客に紹介されて私も幾分緊張しましたが、そこは明るく前向きなアメリカ人ですからすぐ受け入れてもらえました。パーティーも盛り上がって皆おしゃべりに花が咲いている時、ふと傍にいた主夫人が私に声をかけてくれ温かい飲み物を勧められました。それが初めて経験したクリスマスの頃よく飲まれるというエッグノッグでした。
牛乳・砂糖・卵を材料にした牛乳をベースとした甘い飲み物で、たまご酒みたいな感じの飲み物で少しお酒も入っていましたが、寒いクリスマス・イブの夜にはぴったりの温かい飲み物です。ビュッフェ形式のメインテーブルにはお肉を中心にロブスターまであふれんばかりのお料理が並んでいます。
少し夜も遅くなってくるとお腹いっぱいの皆さんは帰るのかと思いきや、さあ次へ行こうと言い出しました。未だパーティーは序の口だという訳です。二次会は近くのお友達の家で行われました。更に深夜になると三次会です。またまた別の方の家でパーティーが始まりました。もう私は誰の家にいるのか、誰とこれまで会っているのか、誰にご挨拶しなければならないか、知らない人はいるのか。なにがなんだか分からなくて、すっかりめんくらってしまいました。
彼らは、もうそのようなことには頓着せず、飲んべ食べておしゃべりに夢中です。
宴が終了した頃は、すっかり日付も変わって夜の闇が白々と明るくなりかけた時分でした。
皆さん三々五々解散して少しづつ人もいなくなり、私もホームステー先のご夫妻に連れられて彼らの家に帰りました。
翌日のクリスマス当日も、午後からまた人が集まりだしてどこか誰かの家でパーティーが始まります。
まあ皆さんパティ―大好きで体力もあるので、そのエネルギーにはビックリさせられましたが、皆さんの高揚感は、考えてみると日本のお祭りと同じような感じで老若男女、子供まで熱く燃え上がるのかもしれません。それは楽しい楽しい数日でした。

年が明けて数か月が経った春の頃でした。
ホームステーのお礼にとご夫妻をマンハッタンの日本料理店にご招待しました。
お箸の使い方に慣れておられなかったのはご愛嬌と言えますし、和やかな雰囲気で夕食を始めました。お刺身やお寿司をお勧めしましたが、生のお魚の料理は経験もなかったのでしょう最初は遠慮して海苔巻きや卵料理をいただいていましたが、だんだん勇気が出てきたのか、イクラ、ハマチ、マグロはトライしてみると言って口にしてくれました。貝類は遠慮されていましたが。
当時、アメリカ人にお箸を上手に使える人は数が少なかったように思います。その後日本料理店にいってお箸を上手に使うことが一つのはやりみたいになりましたが、今では多くの人が当たり前のようにお箸を使っていますので、随分変化してきていることをつくづく痛感します。

なにはともかく、オイスター・ベイのアメリカ人ご夫妻に招待されたホームステーの数日は、本当に夢のような今でも忘れられない楽しいクリスマス・イブの経験でした。

マイアミ

年の瀬の犯罪(2016.12.24

毎年恒例と言っても過言ではないと思えるほど、年の瀬は人々が雑務に追われ街中騒がしくなり、毎年のように事件・事故が多発する時期です。

新しい年を無事に迎える準備でお金の工面に東奔西走する人もいれば、過ぎし行くこの1年に思いを馳せ社会人の多くは忘年会等でお酒を飲む機会も増えるのではないでしょうか。

昔、カナダのトロントやアメリカのNYとマイアミに住んでいたことがありました。トロントでの冬休みは多くの人が気候温暖なフロリダ半島やメキシコのカンクンなど避寒地への観光旅行に出かけます。

その頃家族旅行でフロリダ州オーランドにあるディズニーワールド、マイアミとキー・ウエストに行ったことを思い出します。

この時期にN YやワシントンDCに出掛けるには寒さも結構厳しいので、用心のために重装備の冬支度をしなければなりませんが、フロリダに行くときにはそれ程冬着の旅支度をしなくても済みますから。

一方で、マイアミに住んでから気づいたことですけれども、クリスマスから年末年始にかけて特に旅行者の多くなるフロリダ州では、置き引き、ひったくり、スーパーやコンビニでの万引き、銀行強盗、詐欺事件、夜ともなると繁華街ではお酒も絡んだトラブルもよく起きます。車社会ですから交通事故も頻発します。

交通事故と言えば、フロリダ州は車の保険料が全米でも超がつくほど割高です。

また、驚くのはなんでも裁判沙汰となることです。

ある時、私の運転する車に、対向車のアメリカ人女性運転手が携帯電話で話しながら運転し、こちらが止まっているのに衝突されたことがあります。お巡りさんを呼んで、件の女性は前方不注意運転で処分を受けたのですが、その後、女性から依頼を受けた友人と称する弁護士がやってきて、こちらを訴えるという話になりました。私も事務所の顧問弁護士に相談して問題を処理してもらいましたが、全く物騒なものです。

さて話を戻しますが、アメリカはご存知のように銃社会でもありますから、これらの事件・事故から身を守るのに危険を伴うこともありますので、一苦労します。

そういう意味では危険に遭遇しないよう、なるべく夜は外出しない方が良いのかもしれません。

年の瀬の犯罪については、日本でも同じようなことが言えるのではないでしょうか。

お互いに気を付けて年末は健康第一で良い年を迎えたいですね。(了)

    

ニューヨーク(ニューイヤー・イブのタイムス・スクエア)

毎年のお祭り行事となっていますが、ニューヨーカー達は大晦日の夜、タイムス・スクエアに集まってきて、新年を迎えるカウントダウンで大はしゃぎします。カウントダウン・ゼロの瞬間には、隣の女の子にキスをしてもいいと聞いていたので、ある年の暮れの大晦日に一人で行ってみました。さあいよいよカウント・ゼロになろうとするその時に周りを見渡したら、殆どの女性は恋人同伴で来ていて、私のはかない夢は潰えたのでした。
都会のビル群
道頓堀

ニューヨーク(ロングアイランドの魚釣り)

秋の週末のある日、友人数名とマンハッタンからロングアイランド島の先端に向けドライブし、予約していた船宿でボートを借りて魚釣りをしました。狙い目の魚はポギー(タイ科の魚)でしたが、当時初心者の私は、船出して最初に釣り上げたのはなんと小さい子供のサメでした。体長40センチ位でしょうか。なんとこのサメは、夕刻我々が釣りを終えて陸に上がった時にもまだ生きていました。すごい強烈な生命力に感心しました。サメに感心しても、だから何なのということかもしれませんが、本当にその生きる力にはびっくりし、結局逃がしてあげました。
海岸沿いの家
岩場で釣り
漁船
ビーチのサンセット

マンハッタン近くの海岸でカレイ釣り

秋口の日曜日のある日、友人に連れて行ってもらってマンハッタンからさほど離れていないニューヨークのとある海岸でカレイ釣りをしました。
釣って帰ったカレイは、早速その日の夕食に料理してもらって食べてしまいました。その時の味はあまり良く覚えていないのですが、新鮮で、随分と甘みとコクのあるような感じでした。確かその日は、釣りの心地良い疲れも相まって爆睡してしまったように思います。今思い出しても、爽快で気分の良い一日の出来事でした。

左ヒラメの右カレイ
この言葉をその時に知りました。
岩場で釣り
赤く染まった木々

ニューヨーク(語学学校)

土地の言葉を少しでも早く覚え、生活に慣れるのに手っ取り早い方法は、ガールフレンドを見つけることという人の話に乗せられて、まずはガールフレンドを探すこととしましたが、はてさてどうしたらいいのか見当もつきません。そこで思いついたのが、語学学校へ通うこと、一石二鳥の名案だと思い早速学校を探しました。


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最近、友人の一人がクリスマス・パーティーの話題になった時、New York ではHappy Party と呼んでいるらしい。

多民族社会なのでそのようになってきているようだ。と言っていました。

ちょっと気になったので、翌日、アメリカ人の知人にその点について聞いてみると、ニューヨークでのその話について事実かどうかあまり詳しくないけれど、Happy Party という言葉からイメージするのは、”Japanglish”ではないか、そんな感じがするとの回答でした。

確かに日本人が海外にいる時に、日本向けに年賀用のカードを探していると、新年用のカードには、”Happy holiday and New Years”となっているのに気が付きます。

どうも彼らの感覚では、Happy holiday ならしっくりくるようですね。
では、まだちょっと早いですけれども、日本人ですから、

Happy holiday and New years

ニューカレッジの緑とベンチ

トランプ米次期大統領の初会見(私のひとりごと)

1月10日、トランプ米次期大統領の初会見がありました。

20日に大統領就任予定のトランプ氏にとっては、先の大統領選挙に勝利して以来初めての正式な会見となります。

私も多少興味があったので、TV中継を見ていました。

会見のやり取りを見ていますと、マス・メディアとの対決姿勢を前面に打ち出したトランプ節絶好調のやり取りであったような印象を受けました。

世界各国が注目した初会見だったと思いますが、企業経営者感覚を剝き出しにしてエネルギッシュに語り、一方的なある意味強引ともいえるほどのリーダーシップで記者会見を取り仕切っていましたね。

マス・メディアの質問は、トランプ氏が自ら経営する企業と米大統領としての利益相反の関係や今後の米ロ関係、特に米ロ関係については質問が集中していました。記者の目から見ると最大の関心事がそこにあるということでしょうか。

自動車貿易関連では米国での自動車製造に舵を切っている米大手自動車会社にはある程度満足したのでしょう。あえてコメントはしていませんでしたが、メキシコ、日本、中国には不満があるのでしょうか、名指しでコメントをしていましたね。

正直なところ、この会見を見て米大統領という世界最高の権力者になったら政治家としてはどうなっていくのだろうかとの関心は、ますます不透明になって先行は混とんとして来るような感じがしてなりません。

企業経営者が上から目線で従業員に接しているようなことにならなければよいのですが。

良き経営トップは常に社員のことにも配慮しているように、米国の大統領というトップの権力を持つ政治家として世界の平和と人類の幸福に目を向けた歩みを進めてくれるでしょうか。

アメリカ・ファーストは今の米国にとっては大切なことでしょう。

でもほかの国々の人々はどうなるのでしょうか。

無理が通れば道理がひっこむ的なことは、ぜひ避けなければならないと思います。

このグローバルな地球社会で自分一人勝ちではやっていけないことは自明の理です。

今後のトランプ氏の政治手腕が権力を持つが故にますます注目され、世界に影響を与えていくことは必定ですので、是非とも慢心で目が見えなくなるようなことがなく、自戒して人類の直面する難問・課題に世界のトップリーダーとして高い意識をもって取り組んでいってほしいと切に願うものです。

 

 





トランプ米大統領の入国禁止令

1月27日、トランプ米大統領がイスラム圏7か国出身者の米入国を一時停止する大統領令を発動したことは良く知られています。
イスラム圏7か国とは、イラク、シリア、イラン、スーダン、リビア、ソマリア、イエメンで、同国国民の米国入国は90日間停止、難民の受入れも120日間停止するというものです。
このため国内外の空港では、29日までの3日間で約280人もの人が身柄拘束・搭乗拒否されるという事態となり、混乱を引き起こしています。
この関連で28日、NY連邦地裁判事は有効なビザ(査証)を持つ人の送還は認めないとして、大統領令の効力を部分的に停止する判断を示しました。
また、米国の I T 業界のアップル、グーグル、フェイスブック、マイクロソフトほか主たる有名企業は、この規制にこぞって批判をし、入国制限は従業員とイノベーションに悪影響を及ぼすと懸念を表明しており、批判表明の代表的な人は、マスコミに報じられているだけでも次のように社長級がずらりと並んでいます。
Apple のCEO: T.Cook氏
Microsoft のCEO: S.Nadella 氏
First Look 創設者の P.Omidyar 氏
Tesla のCEO: E.Musk 氏
Box のCEO: A.Levie 氏
まさにそうそうたる顔ぶれの米 I T 関連企業トップが口をそろえて反対の立場を鮮明にしています。 

一方、トランプ大統領は、30日、司法省トップのイエーツ司法長官代行を解任し、更に移民税関捜査局トップのラグズデール長官代行も解任して強気の姿勢を緩めず、これらの流れの中で、100人以上の国務省職員が集団で抗議をする計画が起きているなど、米国内政は異例の展開に発展しています。
ところで皆さん、有効な入国査証を持っているのに入国を拒否されるってどう思いますか。
不思議な話だと思いますか。おかしいと思いますか。
実はこれ、一般的にはあり得ることなのですよ。
何も今回のアメリカでの話だけではなく、広く全世界で普通に起こっていることなのです。
日本でももちろん起こりえます。
まず、外国人の入国を認めるかどうかは、その国の主権に属することであって、他の国がどうこう言う正当な権限はないんですね。
他の国はただ騒ぐだけで、対抗するだけの有効な権限を認められていないのです。
ではどのような場合に、有効なビザを持っているのに入国を拒否されてしまうのでしょうか。
具体的に例を挙げると、
通常は、麻薬や銃を所持していたらこれはもうだめ、ということです。
今回は、あまりややこしい話は遠慮させていただきます。
どうしてもという方は、ぜひコメントをお願いします。
皆様の声を歓迎します。
ではまた。

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外国人のビザを専門とする萩原行政書士事務所です。
日本大使館のビザ発給責任者でした。
◎ビザ、在留、帰化、外国人雇用
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